皆さんはイスラーム教がどんな宗教かご存知ですか?
一神教で、食べ物に関して非常に厳格な宗教、くらいのイメージしかないかもしれません。
また、近年だと9.11やイスラム国などのニュースから過激派で危険なイメージを持っているかもしれません。
けれども、実際にはイスラーム教徒の全てが危険で過激な信仰を持っている訳ではなく、我々がイメージするイスラーム教はその一部でしかありません。
今回はチュニジアを語る上で欠かせない、イスラーム教について簡単に解説します!
1.神に身を委ねる実践の宗教:イスラーム
イスラーム教とは、600年代初頭(日本では聖徳太子の時代)に、アラビア半島で預言者ムハンマドが天使を通じて神の啓示を授かったことをきっかけに成立した宗教です。
ムハンマドはアラビア半島メッカの交易商人で、40歳のとき洞窟で瞑想している最中に神の啓示を受け、預言者となりました。
その後、アッラーに心身を捧げることを誓い、民衆にアッラーこそが唯一の神であると布教を始めたことが始まりで、アラビア半島を統一し指導者としての地位を確立します。
そんなイスラーム教は、ユダヤ教とキリスト教にルーツをもつ一神教です。
唯一神アッラーに服従・帰依することを教えとし、ムハンマドが授かった啓示をまとめたクルアーン(コーラン)を聖典としています。
2.生きる規範:啓典クルアーン
預言者ムハンマドが23年間にわたり、天使ジブリール(ガブリエル)を通じて、神からの啓示を受けたとされる集大成がクルアーンです。
クルアーンとは唯一神アッラーが語った言葉で、神と人間の関係や、人間社会におけるあり方、信仰の実践の仕方、美醜・善悪などさまざまな教えが書かれています。
これがイスラーム教徒であるムスリムの信仰の源泉です。
ムスリムたちは共通して神の存在や、預言者の存在、クルアーンが唯一神アッラー由来していること。そして、死後に人は神の裁きを受けることを信じています。
一方で、文化や社会の違いや個人の考え方の違い、そして時代の変化によって、神が人間に何を望んでいるのか異なってくる場合もあります。
どんな服装がいいのか、何を食べれば良いのか、どんな暮らしをすればいいのかなど、同じムスリムでも考え方や行動、そして信仰にも違いや変化が見られます。
例えばチュニジアとエジプトのムスリムでも大きく異なります。
2.神に身を委ねる実践の宗教:イスラーム
イスラーム教といえば世界三代宗教の一つですが、どのくらいの人が信仰しているかご存知でしょうか?
なんと!世界で約19億人が信仰しているとされています!
そしてイスラーム教を信仰する人のことをムスリムと呼びます。
ムスリムは信仰の告白・礼拝・喜捨・断食・聖地メッカへの巡礼からなる5つの基本行為と、定められた行動規範を守ることを義務としています。
彼らにとっては、信仰のあり方よりも、その信仰を実践することが大切であると考えられ、神への服従を日々の行動に表します。また、ムスリムは義務とされていることは自己の精神的な成長や神との絆を深めるためであると受け止め、辛くても喜んで受けるべきとされています。
私は食べるのが好きなのですが、例えば1年に1ヶ月にわたって行われる「断食」は、「自分の成長のための試練だ!やっほーーーーい!」と喜ばないといけないんですね。
ダイエット中なら喜べそうですが、ちょっと難しそうです。。。
そんな19億人のムスリムですが、意外なことにその半数以上である10億人がアジアで暮らしています。
世界最大のムスリム人口をもつインドネシアは、人口の9割に当たる2億2千万人がムスリムです。
また、インドネシアやマレーシア、インド、パキスタンなどのアジア諸国でのムスリムの人口増加は著しく、ゆくゆくはキリスト教徒の人口を上回るとも推測されています。
3.あり方に迷った時の拠り所:ハディース
皆さんは実生活において、生き方の基軸になるとなる教えはありますか?
私は哲人皇帝と呼ばれたマルクス・アウレリウスの『自省録』と、チュニジアの名将ハンニバルを軸に生きています。
イスラーム教の国においては、啓典であるクルアーンと、信仰に基づいた法律であるシャーリアが生活規範となります。
つまり、物事の判断基準が信仰に基づくのです。
それでも時代の変化は目まぐるしいもの。クルアーンにはAIが台頭した場合、どうすればいいのかなんて書いていないでしょう。
このようなクルアーンやシャーリアで対応できない場合は、ハディースに基づいて判断します。
ハディースとは神の言葉を人間に伝えた預言者ムハンマドの言葉を記録したものです。クルアーンに言及されていない事柄や迷った時の判断基準となり、イスラーム教徒であるムスリムの模範すべき姿として尊重されています。
確かに全ての物事に対して、正確な答えではないかもしれません。しかし根幹となる部分はハディースにあるんですね。
私たち日本人にとって宗教観に基づく教えがないので、非常に希薄な概念かもしれません。しかし、もし何か困難に直面した時、このような判断基準の軸となるものがあれば確かに勇気が出るかもしれませんね。
4.イスラームの信仰と実践:六信五行
では、ムスリムの具体的な生活規範とはなんでしょうか?
イスラームの中でも重要なあり方のルールのことを六信五行と呼びます。
五行六信とは、「ムスリムが信じるべき6つの事柄、ムスリムが行うべき5つの事柄」のことを指します。
これらも全て啓典クルアーンに書かれており、ムスリムの最も大切な義務とされています。それでは一つずつ見ていきましょう!
【六信】
①唯一神アッラー:イスラーム教では神は一柱しかいない一神教であるため、神は唯一であることが大原則となります。ちなみにアッラーはアラビア語で「神」を意味し、神の名前ではありません
②天使:アッラーの命令を忠実に実行するために働く存在で、啓典を預言者ムハンマドにもたらした天使ジブリース(ガブリエル)が代表的です。イスラーム教では誰でも右肩に善行を、左肩には悪行を記録する天使がいます。
以前、チュニジアへ行った際に「原稿が終わらないので神に懺悔」していたのですが、左肩の天使が悪行として記録したのでしょうか…。末恐ろしいですね…
③啓典クルアーン:神の言葉を集めた書物のことです。ユダヤ教の旧約聖書やキリスト教の新約聖書も、コーランと同じ神から与えられた啓典とされています。しかしイスラーム教では「人間が神の言葉を正しく理解せず歪曲してしまった」と考え、コーランこそが「神が与えた最後で最高の言葉である」としています。
現代風にいうと「解釈違い」ですね。
④預言者ムハンマド:神の言葉を預かり、他の人に伝える人のことで、クルアーンではアダムを始め二十五人の預言者が紹介さています。五代預言者としてノア、アブラハム、モーセ、イエス・キリスト、そしてムハンマドが挙げられます。
イスラーム教は一神教なので誤解されがちですが、実はユダヤ教とキリスト教の延長にある宗教です。
なのでこれらの宗教と断絶した宗教ではないことが特徴として挙げられます。
⑤復活や死後の世界である来世:イスラーム教では「死後の世界こそが真実の世界」と考えられています。この世界が終わるとき、最後の審判で右肩と左肩の天使によって記録された善行と悪行に基づいて、天国へ行くか地獄に行くかが決まります。そして審判で決められた世界で永遠に住み続けなければなりません。
地獄に永遠に住むとか非常に嫌すぎますね。日頃から一日一善の心でいきたいです。
また、復活するための肉体が必要で、必ず土葬されます。
もし火葬されたならば、それは死後の懲罰を意味しており、同様に焼身自殺は最大のタブーとしています。
⑥神が定めた天命:
【五行】
①信仰の告白:神は一柱であり、ムハンマドは神の使徒なりとアラビア語で宣言することです。イスラーム教に入信するときにはこの言葉を二人の男性の承認の前で唱えなければならず、礼拝の時にもこの言葉を唱えています。
②1日5回の礼拝:夜明け、正午、午後、日没、夜にメッカの方向に向かって礼拝を行います。清潔な場所ならどこでもよく、絨毯やマットを引いて礼拝する人も多いです。
もしかして早起きが苦手な人は、イスラーム教に改心すれば朝型人間になれってこと…?
ちょっと改宗を検討したいと思います。
③富めるものは貧しいものに与える喜捨:喜捨には2種類あります。義務で行う喜捨を「ザカート」、自発的な喜捨を「サダカ」といい、喜捨を行えば天国へ近づくとされています。
私はコンビニで現金払いした時、100円以下は募金箱に入れています。これで寝坊と昼寝の悪行をイーブンにしてもらいたいです。
④年に1回の断食:毎年3月〜4月頃にあたるラマダン月に飲食を含むあらゆる欲望を断つことです。実際に断食するのは日中のみで、日が沈んでいる間は飲食が許されます。
また病人や妊婦、旅人、戦士などは免除されます。
⑤聖地への巡礼:生涯に一度、イスラーム最大の聖地メッカに巡礼することで、実は義務ではありません。メッカへの巡礼は非常に大変なことで、経済的・体力的に可能な人だけが行えば良いとされています。
また、チュニジアにある聖都カイロアンも巡礼地の一つで、7回巡礼するとメッカに巡礼したことと同様の意義があるとされています。
5.まとめ
これらがムスリムのあり方であり、規範です。これらに従って生きる人のことをムスリムと呼びます。
イスラム過激派や、キリスト教の十字軍といった他者を排斥する特定の事由から、宗教そのものに疑問を持つ方もいます。しかし宗教とは人がどのように生きるのか、なぜ生きるのかということに対する一つの答えだと思います。
例えば、イスラーム教だと女性は素肌を見せてはならない、という規則がありますが、これはイスラーム教が成立した時代に未亡人が多く、彼女たちを救うための教えという側面があります。
宗教ごとに善悪が異なるのは当然ですし、成立した時代によって当時直面していた問題が異なります。
私たち日本人は多神教であるが故に信仰が希薄になりがちですが、お互いの考えを否定するのではなく、尊重し、理解しあえるといいですね!