英雄は見た。


百の祭壇がサバエイの香を燻らせ、
新い花輪の芳香を放っている。


大きくのしかかるように都が迫り、城砦を正面から見おろしている。
人々は初夏の蜜蜂のように、咲みだれる田園一体で、
流れる蜜を詰め込んでは甘蜜ではち切れんばかりに蜜房を満たす。 


ある者は城壁を延長し、ある者は家屋を建て、ある者は法を定め、
また港を掘り下げているのかと思うと、あちらでは劇場を築いている。


彼は驚く。あれがかつて小屋であったとは。

 ウェルギリウス『アエネーイス』

 

ミツバチの国チュニジアは2500年前から織物・手工業の国として知られてきました。
旧市街地の裏路地に迷い込めば職人の工房が広がり、
今日も数千年紡がれてきた技の音が聞こえてきます。

 

BYRSAMでは彼らの崇高な織物を取り扱います。

 


TUNISIA

地中海世界の女王と呼ばれた国

 

澄み渡る蒼穹の海とどこまでも広がる熱砂の大地。


伝説では亡国の女王エリッサによって建設され、牛皮で覆えるだけの丘から始まりました。


特に紫染めの布が有名だったことから紫を意味する「ポエニ人」と呼ばれ、紀元前5世紀までには
西地中海世界の覇者となり、古代の人々は裕福なこの国を羨望の眼差しで見つめました。


古代人にとって黄金の穂と澄み渡る海、壮麗な神殿が並ぶこの国は「
世界の女王」であり、後の「第2のローマ」だったのです。

 

イスラーム時代には聖都として崇敬され、現在でもメッカに続く重要な巡礼地として多くのイスラーム教徒が訪れます。
かつて隆盛を誇ったカルタゴ市街、北アフリカで最も古いモスクなど、私たちは地中海の中心地だった面影に圧倒されるのです。


南にはサハラ砂漠が広がり、今やSTAR WARSのダースベイダーの故郷のモデルとして叙述されました。


そんな類稀なる歴史や文化を持つ蜜蜂の国チュニジアですが、一方で深刻な失業問題を抱える国の一つでもあります。

 


TUNISIAN SILK

2500年の技の結晶


金属のような光沢、なめらかな肌触り。
触れた瞬間に別世界へ誘われるような感触でありながら、極めて丈夫なのが弊社のシルクです。


各国の王侯貴族やハリウッドスターたちが別荘を構えるイタリアのコモで生産されたシルクをふんだんに使ったスカーフは、高級ブランドのハイエンド・アイテムと同等の品質です。


チュニジアの織物には2500年来の技術があり、全工程を手作業で行なっております。
今日もチュニジアの織り手たちが1点1点が独立した作品としてパタパタと紡いでいます。


そんな上質なシルクの魅力がより引き立つよう、1回1回のストロークを丁寧に行い、1日かけて仕上げています。

Philosophy

地中海世界の女王を目指して


今日の日本で良いモノは大して珍しくありません。
安く高品質であることが日本での最低ラインです。そうであるからこそ、あらゆる業界で大量生産・大量消費・伝統の死の状態に陥っているのだと思います。


もし、目の前にあるモノの色や形だけを愛でるのではなく、その背後にある歴史にまで触れて楽しむことができたら、私たちの生活はよりワクワクしたものになるでしょう。


日常生活で未知と邂逅し共存することこそが、私たちの考えるブランドのあり方です。


多くの人はチュニジアという国を知りません。
しかし私たちの製品を通じてチュニジアに興味関心を抱き、実際に行ってみたい、チュニジアについて研究してみたい、と思っていただけるよう最大限の努力を尽くし、みなさまに職人たちの崇高な作品をお届けします。

Brand History

ブランド誕生秘話


チュニジアの歴史研究を行なっていた細川美優は、大学4年生のころにチュニジアへ渡航し、
偶然立ち寄った香水屋で調香を見学。伝統的な技法に感銘を受けました。
以来、チュニジアの研究を続けながら、同国に寄与するような事業を行うことを切望していました。


やがて多くの実業家様と出会い、「なんでチュニジアなの?」「チュニジアって面白い国だね!」と言ってくださったお陰で、BYRSAMを立ち上げる決心がつきました。


そして2023年4月にチュニジアへ再び渡航し、助けてくださったチュニジア人の皆さん、そして弊社との協業に同意してくださったskilaの皆さん、誠にありがとうございました。


BYRSAMは2023年7月21日に正式オープンいたしました。

Brand Story

ブランド名に託した想い


神話によると、チュニジア建国の女王は原住民に「牛皮で覆えるだけの土地が欲しい」と願い出ました。彼らが承諾すると、女王は牛皮を細かく切り刻み、1本の縄をこしらえました。そしてそれで覆えるだけの土地をもらい、その地は「牛皮の丘=BYRSA(ビュルサ)の丘」と呼ばれました。


チュニジアの始まりの場所であるBYRSA。そして私の無謀な挑戦を応援してくれた共同出資者と私のペンネームの頭文字の「M」。

再び地中海の女王に返り咲いてやると願いを込めて「BYRSAM」と名付けました。