な!な、な、なんと〜〜!
チュニジア大使館様とお仕事することになりそうなBYRSAMの代表の細川です!
舞い上がりすぎた結果、コンビニで5000円紛失してしまいました。
さて、前回は地中海で最も繁栄した商人の国、カルタゴを歩いてみましたね。
10階建ビルに相当する大浴場や、チュニジア版ポンペイの街並み、彼らの生活を支えた海をご紹介しました。
今回は、カルタゴ人の生活や伝統を中心にお届けしたいと思います!
1.ハンニバルの息吹を求めて3000里
ハンニバルの聖地巡礼がしたいがためにスペイン語を勉強して、追いかけ続けたハンニバルハンター細川。
チュニスのブルギバと通りの端から出ているメトロか、バスで向かいます。
2024年現在は途中の駅が工事しているため、途中で降りて1駅分歩かなければなりません。
控えめに言って迷子になるため、バスで向かうのがいいでしょう。
カルタゴで教育を受けているエリート学生に囲まれて、アントニヌス浴場の近くで下車します。
ハンニバルが踏みしめた大地の子孫がご存命のため、丁重に降りなければなりません。
私もナポレオンに倣い、カルタゴの大地へ敬虔なキッッスを贈ります。
周りと場所を確認して行わないと、銃を持ったお兄さんに職務質問を受けることになるので要注意です。
2.カルタゴは1枚の牛皮から始まったービュルサの丘ー
さて、そんなカルタゴはかつて地中海世界一の商業国家でした。
商業によって栄え、世界中の富がカルタゴに集まりました。
カルタゴの名声はローマ帝国末期の時代になっても衰えず、「第二のローマ」と称賛されたり「世界で最も裕福な国」と羨望の眼差しを集めました。
そんなカルタゴはたった1枚の牛皮から始まります。
今から2800年前の紀元前814年、カルタゴは建国しました。
神話によると建国社はエリッサ。またの名をディドーと言います。
彼女は現在のレバノンにあるテュロスという都市の出身でした。彼女は王家の娘で、王位継承をめぐる陰謀に巻き込まれ、数名の家臣とともに北アフリカに上陸します。
そして、「1枚の牛皮で覆えるだけの土地」を原住民から貸借し、「ビュルサの丘(=牛皮の丘)」と呼ばれました。
3.子どもたちの聖域ートフェトー
正直なところ、カルタゴ人についてわかっていることはあまりありません。ギリシア人の間で伝わっていたカルタゴの建国神話や、風俗が少し残っている程度です。
そんなカルタゴ人がどのような死生観を持っているか判然としておらず、現在でも論争になっているのがこの場所。トフェトです。
トフェトは子どもたちのお墓で、古来から「生贄に捧げられた子どもたちの墓」と考えられてきました。実際にフランス版夏目漱石であるフローベルは、カルタゴを舞台にした小説の中で、トフェトを恐ろしい幼児犠牲の場所として描いています。
しかし、近年では考古学研究の発展によって否定されつつあります。
発掘された骨のうちほとんどが小動物のもので、小鳥などを使って大体生贄が行われていたのではないかと考えられています。
また、トフェトは成人になれなかった子どもたちが、来世での生まれ変わりを願う場ではないのか?とされています。
とてもロマンチックですね!!!!
特にトフェトはインスタグラムで数多くアップしているので、ぜひ見てみてください!
今回紹介しきれなかったバックパッカー目線での街歩きも多数アップしていますまる