チュニジアってどんな国かご存知ですか?

近年ではサッカーによって認知度が高まってきた国チュニジア。名前だけなら聞いたことがあるかもしれません。

チュニジアは北アフリカ沿岸部に位置するイスラーム教の国です。
長靴の形をしたイタリア半島の対岸、2200年前の航海技術でローマまで3日の距離に位置します。

北アフリカにある国と聞くと、砂漠や荒野をイメージするかもしれません。しかしチュニジアは美しい海、豊かな自然、内陸には砂漠が広がっています。
そんなチュニジアについて簡単にご紹介したいと思います!

 


ダースベイダーの故郷になったチュニジアを歩こう!

ダースベイダーの故郷タトゥイーンって架空の街じゃないの?と思われるかもしれませんが、タトゥイーンのロケ地になった場所がチュニジア南部にあるタタウィンという町です。
チュニジアはスターウォーズで観たような砂漠の街並みから、白い壁と青いドアが特徴的なギリシアのような街並み、そしてかつてローマ帝国の胃袋を支えた豊かな自然といった対照的な風景が広がっています。
そんなチュニジアの街並みを写真と共に見ていきましょう!
(筆者がまだ砂漠方面には行ったことがないので、メインはチュニジア中部〜北部になります)

・海

・街

・ローマ時代の遺跡

・イスラーム建築

 

 

チュニジアの歴史

チュニジア人のルーツは元々現在のレバノンにあり、古代世界では「フェニキア人」と呼ばれていました。
伝説によるとレバノンに存在していた国家テュロスの王女エリッサが、兄弟との王位継承争いによって亡命し、紀元前814年に現在のチュニジア、古名ではカルタゴを建国しました。
紀元前500年頃には西地中海世界の覇者として君臨し、通商国家として繁栄。紀元前300年代中ごろからシチリア半島の覇権を巡ってローマ人と対立し、三度の戦争の末に地上から滅ぼされてしまいました。
滅亡から約150年後にローマ帝国初代皇帝アウグストゥスによって再建され、カルタゴは再び農業と地中海交易を中心に繁栄します。
カルタゴはローマ人から「第二のローマ」と呼ばれるほどに発展し、学問の中心地としても栄えました。
しかしローマ帝国は徐々に衰退し、476年に西ローマ帝国が滅亡しまいます。
カルタゴは東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配下に組み込まれますが、600年代の初めにイスラーム教が急速に成長し、エジプトを征服。イスラーム教徒による西方遠征は続き、カルタゴは701年に最後の女王カヒナの抵抗の末、支配下に組み込まれました。
イスラームの支配によってチュニジアの首都はカルタゴからケロアン、その後チュニスに移り、ローマ時代に繁栄を享受した都は人々の記憶から忘れ去られてしまいました。
イスラーム時代のチュニジアは北アフリカにおける信仰の中心地として栄え、現在でもケロアンにあるグランド・モスクは、メッカへの巡礼に行くのと同じくらい重要な聖都と定められています。
1500年代から1800年代には現在のトルコであるオスマン帝国の支配下に入り、主にシチリアとの交易で栄えました。しかし内紛によって少しずつ衰退し、海賊に脅かされるようになります。
1800年代の衰退は目に余るほどで、ヨーロッパで起こった産業革命によって「安くて良いもの」が出回るようになり、チュニジア製品が売れなくなってしまいます。結果、収入源を失ったチュニジアはフランス・イギリス・ドイツ・イタリアから土地を担保に借金するようになり、1878年にこの借金が原因でフランスの領土となりました。
※他国の支配を受けること(チュニジアの場合はフランスの支配)を植民地支配と言います。
当時のチュニジアの王朝は名目上権威を保持しましたが、外交・軍事などの権限をフランスに奪われ、さらにはフランスの通貨を流通させたり、チュニジアの良い土地のほとんどをフランス人が所有できるようにした法律を発布したりという状態でした。
結果、チュニジアはフランスへの従属に反発し、独立運動が行われていきます。第二次世界大戦を経て独立運動が活発に行われ、1956年にフランスから独立を勝ち取り、現代のチュニジアが形成されていきました。
チュニジアにはユネスコの世界遺産に登録された遺跡が多く、その中には古代ローマ時代の遺構からイスラーム建築など、非常に多様な歴史文化が入り混じっています。
その理由としては女王エリッサの建国から始まり現代に至るまで、さまざまな文化を持つ支配者の影響を受けてきたからです。その歴史的な遺産はチュニジアの魅力の一部であり、私たちにとって「まだみたことのない世界」を知るきっかけになるでしょう。

チュニジアの伝統工芸品

 

チュニジアは古来より交易と農業によって栄えた国でしたが、実は手工業の国としても有名です。
最後にチュニジアの名産品をご紹介します!

 

 

・陶器

チュニジアの名産品の一つ、陶器です。特にナブールと呼ばれる町が有名で、街の至る所に工房があります。

ただの陶器屋さんだと思ったら、「アタシが絵付けしたのよ」なんてことも・・・

花みたいな模様から近年では中国や日本の意匠の絵の陶器も人気なんだとか。

 

・織物

キリムと呼ばれる平織りのカーペットや、遊牧民であるベルベル民族の伝統模様が特徴的な絨毯、BYRSAMで取り扱っているようなスカーフなど。チュニジアで流通している織物はほとんど手織りで作られています。

絨毯は北アフリカ最古のモスクを持つカイロアンが非常に有名です。

 

チュニジアの絨毯模様はシンプルでダイナミックなものが多いですが、織りは非常に細かく、耐久性に優れたものも多いです。

特にラクダ毛の絨毯はお犬様やお猫様が引っ掻いても問題ないんだとか・・・

 

・香水

チュニジアは香水の一大生産地で、ヨーロッパだと高級香水としても知られます。

アルコールフリーな香水で、伝統的な蒸留技術で作られています。香りは国花であるジャスミンや、日本では馴染みのないデーツやサボテンなどの変化球な香りも・・・

 

また香水以外にもオリーブオイルで作った石鹸やシャンプーも有名です。
5年以上、皮膚科・アムウェイ・ニュースキン・その他美容系Youtuberのスキンケアを試しても治らなかった肌荒れがかつてないほどに良くなりました・・・(体験談)

 

・オリーブ雑貨

チュニジアは世界有数のオリーブの生産地で、同時にいろんな種類のオリーブ雑貨が作られています。

スプーンやフォーク、お皿やまな板まで。

木目が非常に美しく、硬く傷つきにくい特徴があります。

あるフランス人のマダムは「食器を買うために来たのよ」と言っていました。
飛行機で3時間程度らしいので、洋服を買いに韓国へ行く・・・みたいな感覚なのでしょう。

 

・革製品 

チュニジアではヤギ革のカバンやスリッパ、小物やランプシェードなど様々な革製品が作られています。

イスラーム教の国であるため、山羊や羊の肉を日常的に食し、「生活の中で余ったモノを利用して作っているんだよ」と教えてもらいまいた。

革の染色技術も非常に高く、鮮やかな色の鞄がメディナに並びます。

近年ではラクダ革の製品もあるんだとか。

ちなみにチュニジアを歩くと、朝お肉屋さんにいた羊が夕方にはいなくなっている、という現象に遭遇します。

 

 

いかがでしたでしょうか?

チュニジアの歴史は多様で豊かであり、古代から現代に至るまで様々な文化や支配者の影響を受けてきました。

また緑豊かな北部から灼熱の砂漠まで対照的な大地を有し、一歩踏み出せばいろんな景色を見ることができるでしょう。

 

BYRSAMではそんなチュニジアについて毎月2日と21日に新規コンテンツを配信していきます。

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それではまたお待ちしております! 

 

細川美優