チュニジアへの愛と将軍ハンニバルへの忠誠心で生きてるBYRSAM代表の細川です。
皆さんはチュニジアがどこにあるのかご存知ですか?
チュニジアは長靴の形をしたイタリア半島の対岸、2200年前の航海技術で3日の距離に位置します。
人口は東京と同じくらいの1200万人、宗教はイスラーム教、話されている言語はアラビア語とフランス語です。
特産品はデーツやオリーブ、陶器などが有名で、織物や金属加工にも秀でています。
真っ白な壁に青い扉が印象的なギリシア風の街並み、豊かな自然が広がりその中に北アフリカ最古のイスラーム建築までもが融合した独特の世界観で、南部にはかの有名なダースベイダーの故郷になったロケ地になった灼熱の砂漠があります!
とはいえ、私たち日本人にとってチュニジアは遠く離れた「よくわからない」異国の地ですよね。
けれども実はとても身近なところにチュニジア由来の名称があります。
記事のタイトルになっている通り、「ゴリラ」はチュニジア由来の名称なんです。
Contents
1.「真っ黒で凶暴な」ゴリラの発見
1846年、二人のアメリカ人宣教師ウィルソンとサベージは「ひどく凶暴で変わった習性を持つサルに似た動物」の頭骨を発見しました。
二人はその動物の印象として「真っ黒な顔はひどく歪んだ性格を表し、全体の印象は残忍な狂人のようだ」と記しています。
そして発見した頭骨は博物学者であるワイマンとオーウェンのもとへ送られました。この時に「真っ黒で凶暴な」動物が単独の種として初めて記載されたのです。
名付けられた名は「トログロディテス・ゴリラ」。古代ギリシア語で「真っ黒で凶暴な人」を意味するGollorai=ゴリライから由来しています。
2.2500年前の航海者ハンノの冒険
「ゴリラ」が記録に登場するのは紀元前400年代後半のこと。ギリシア人の歴史家ヘロドトスは『歴史』の中で、西アフリカには「ゴリラなる動物が生息している」と記述しています。
しかし「ゴリラ」の初出はヘロドトスではありません。
古代チュニジア人の航海士ハンノの航海記録(Periplus)に登場したのが初めてのことです。これがギリシア語に翻訳され、今日にわたって読まれ続けて来ました。
古代チュニジアは「新しい街」を意味するカルタゴと呼ばれていました。
紀元前804年に建国されたカルタゴは西地中海の覇者として君臨し、商業によって繁栄していました。
カルタゴ人の航海技術は非常に高く、彼らの商船は地中海諸国を航海していました。ギリシアは当然のこと、エジプトやスペイン、ポルトガルまでもが彼らの活動範囲でした。
そんなカルタゴ人は西アフリカ大陸に関心を寄せます。
カルタゴ人の航海士ハンノは西アフリカ大陸の探検へ出かけました。
航海の目的は、スペイン最南端にある都市ガデスとモロッコの間にあるジブラルタル海峡を越えて、西アフリカに新たな都市を建設すること。そして、アフリカ大陸のまだ見ぬ黄金を見つけることでした。
近年の研究によると、遠征は4回にわたって行われ、最終的にはカメルーンまで到達したのではないかと考えられています。
距離は最低でも1100km、最大で3000kmとも。最低でも東京〜博多間を航行したことになりますね・・・。
3.ハンノの航海記録-THE PERIPLUS OF HANNO-
ヘラクレスの柱の外側を航海し、同胞の都市を発見したことは大変喜ばしいことだった。海岸線に沿って航海を続けた。やがて恐ろしい熔岩が流れる山に辿り着いた。それは「神々の戦車」と呼ばれていた。それから3日間、荒れ狂う海を進み、「南の角」と呼ばれる湾にやってきた。この湾の奥に、湖の中に湖のある島があり、その中にまた別の島があって野蛮な男たちでいっぱいだった。女もいた。彼らは毛むくじゃらの身体をしており、通訳は彼らのことを「ゴリラ」と呼んだ。彼らを追跡したが、男たちは一人も捕えられなかった。彼らはみな、険しい場所を登り、石を投げつけながら逃げたのだ。しかし我々は三人の女を捕まえた。彼女たちは噛んだり引っ掻いたりして我々に従おうとしなかった。そこで、我々は彼女たちを殺して皮を剥ぎ、その皮をカルタゴに持ち帰った。私たちはそれ以上航海しなかった。食糧が尽きたのである。WILFRED H. SCHOFF,a. m. THE PERIPLUS OF HANNO,NEW YORK 1912
この時ハンノが見つけた「ゴリラ」がいわゆるゴリラなのか、それともチンパンジーの類なのか判然としません。
ただ、この記録を読んだ古代ギリシア人は「ゴリラ」のことを「ゴリライ=Gorillai」と呼び、「ジブラルタル海峡を越えた先にはゴリライという種族がいるらしい」と語り継ぎました。
この記録は長年にわたって読まれ、特に1600年代の大航海時代には彼の航海記録が盛んに研究されました。
そして1848年代。イギリスの産業革命が起こり、フランス革命によって民主主義ができた頃。日本が開国する半世紀前のこと。
アメリカ人宣教師のサベージとウィルソンがアフリカでいわゆる「ゴリラ」を発見しました。
冒頭で述べたように、当時の欧米人はこの動物に対して「凶暴で悪魔のような動物!」という印象を抱きます。
このような印象から、カルタゴ人の航海者ハンノが発見した「黒くて野蛮な人」を意味する「ゴリラ=ゴリライ」を連装し、「トログロディテス・ゴリラ」と名付けたのです。
そして、いわゆる「ゴリラ」は「凶暴で悪魔のような性質を持っている戦争好きな動物だ」と紹介され、100年以上もの間「ゴリラは凶暴だ」という印象が定着してしまいます。
4.邪悪の権化「ゴリラ」
人類で初めてゴリラを発見したサベージは、1年間密林の奥地に滞在し、チンパンジー研究に情熱を注ぎました。それにもかかわらず、ゴリラについては凶暴さと好戦的な性格を誇張して付け加えたのです。
サベージの同僚であるウィルソンはゴリラの印象を「その真っ黒な顔がひどく歪んだ性格を表しており、全体の印象は非常に残念な狂人の表情以外のなにものでもない」と語っています。
ゴリラの発見に刺激されたアメリカの探検家ポール・デュ・シャーユは、初めてゴリラを撃ち殺しました。
1861年に発行した『赤道アフリカの探検と冒険』のなかで、「ゴリラはまるで悪夢の中に出てくる生き物、それこそ昔の画家が地獄の絵に描き出した半身半獣の悪魔のように見えた」と語っています。
こうしてゴリラは「凶暴で恐ろしい」動物として欧米人の心に定着してしまいました。
「密林を徘徊する恐ろしい巨人」、「邪悪な心と不気味な顔を持った原生林の悪魔」など。
このようなイメージはアフリカを全ての悪の根源であり「暗黒大陸」とみなしていた当時の欧米人の心にぴったり合致するものでした。
そしてこのイメージを払拭するには100年もの月日を待たなければならなかったのでした。
さて、チュニジアから派生した言葉はゴリラだけではありません。
皆さんがよく知る「アルファベット」「スペイン」「バルセロナ」もチュニジア由来の名称です。
「アルファベット」については別の機会に紹介したいと思います。
それではまず「スペイン」から見ていきましょう。
5.「スペイン」もチュニジアから派生した
スペインは英語で「スペイン」、スペイン語で「エスパニョール」と言います。
古代ローマ時代には「ヒスパニア」と呼ばれました。
現在使われている「スペイン」という呼称は「ヒスパニア」という名称に由来します。
このヒスパニアは元々カルタゴ人が話していたフェニキア語の名称で、たぬきっぽい動物「ハイラックス」の島を意味する「I-shaphanim」が語源となっています。
東方からやってきたフェニキア語を話す人たちが、野うさぎをタヌキと見間違えて「ここはタヌキの島だ!」と命名してしまったのです。
このような逸話からこの国は「スペイン」と呼ばれるようになりました。
6.チュニジアの将軍の庭「バルセロナ」
みんなが大好き・バルセロナが建設されたのは2200年前のことです。
紀元前264年にカルタゴと当時イタリア半島を統一したローマがシチリア半島の領有権を巡って戦争を始めました。
この戦争のことを「第一次ポエニ戦争」と言います。
第一次ポエニ戦争は彼らの予想に反して長期化し、当時の地中海世界において最も大きな戦争となりました。
第一次ポエニ戦争は24年ものあいだ休みなく続き、カルタゴが敗北する形で終わりを迎えます。
敗戦したカルタゴは疲弊した状態で賠償金を課されてしまいました。
第一次ポエニ戦争でシチリア半島の領有権を失ったカルタゴは、復興のためスペイン遠征を開始します。
この遠征を指揮したのがハミルカル・バルカという将軍です。
彼は将軍ハンニバルの父であり、第一次ポエニ戦争ではローマ軍相手に孤軍奮闘し、一度も敗北したことのない名将でした。
そんな彼は北アフリカ沿岸部を西に進み、ジブラルタル海峡を越えてスペインへ上陸します。
スペインに元々あったカルタゴ人の都市を拠点にしながら、スペインの原住民を次々と支配下に置きます。
そんなハミルカルが征服・建設した都市が「バルセロナ」です。
この地域をハミルカルの家名である「バルカ家」の庭を意味する「バルキーノ」と名付け、それが後に「バルセロナ」と呼ばれることになります。
バルセロナといえばサグラダ=ファミリアですよね。
古代ローマ時代の遺跡はほとんど残っていませんが、実はとても古い歴史を持つ街なのです。
7.まとめ
「ゴリラ」「スペイン」「バルセロナ」の由来を紹介しました。
チュニジアと聞くとあまり馴染みがないかもしれませんが、ハンノが遭遇した「黒くて野蛮な人々=ゴリラ」がいわゆる「ゴリラ」の由来になっていたり、彼らの言葉で「たぬきの島」を意味する「イスパニア」がスペインの由来になっていたりします。
目に見える形ではありませんが、ふだん耳にする言葉でチュニジア由来のものが沢山あると、意外と身近に感じるかもしれません。
明日からぜひ「ゴリラはチュニジア由来なんだぜ」と自信満々に話してみてくださいね♪
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