チュニジアへの愛と将軍ハンニバルへの忠誠心で生きてるBYRSAM代表の細川です。

前々回はチュニジアの建国神話についてお話ししましたね!

チュニジアは、【女王の海】のモチーフになっている亡命の女王エリッサによって建国されました。

今回はチュニジアで最も有名で、最も偉大な名将ハンニバルについてお話しします!

 

 

  

1.地中海世界の大国だったチュニジア

紀元前814年に建設されたチュニジアは、紀元前500年代半ばまでに商業の中心地となり、大国に上り詰めました。

チュニジアは元々原住民から土地を借りた、いわばレンタル国家でしたが、やがて北アフリカの主人となります。

その領土はモロッコからエジプトの国境まで、さらにサルディーニャ島やマルタ島、バレアレス諸島、そしてシチリア半島の一部まで広がりました。

紀元前400年〜241年まで、古代チュニジア人(=カルタゴ人)の関心は、シチリア半島の統一に寄せられます。

 

 

2.カルタゴはシチリアが欲しかった

古代社会において、国家の単位は都市でした。

当時は一つの都市が一つの国家で、例えるならば東京23区がそれぞれの独立した国家のようなものでした。これを「都市国家」と呼びます。

シチリア半島にも多くの都市国家があり、カルタゴはその一部を支配していました。

当時、西地中海世界の大国カルタゴですら倒せなかった国があります。それをシュラクサイと呼びます。

シュラクサイはとても古く、最も繁栄したギリシア植民市の一つです。

古代ギリシアといえば映画『300』に登場する「アテナイ」と「スパルタ」が有名ですよね。この2国はギリシアで最大の都市国家の一つですが、シュラクサイはこもアテナイとスパルタと同じくらい繁栄しました。

そしてシュラクサイはとても強い国で、実はあのアテナイが返り討ちに遭った国でもあります。

当時のある歴史家は「カルタゴが支配できない国を、なんで俺たちアテナイが支配できると思ってるの」とコメントしていて、そのことからもシュラクサイの強さが窺えますね!

 

 

3.ライバルはダモクレスの剣

皆さんは「ダモクレスの剣」の故事をご存知ですか?

「ダモクレスの剣」とは身に迫る危険な状態を指します。実はこの故事の舞台になった国が、シュラクサイでした。

 

王を羨んだ廷臣ダモクレスは、ある日、贅沢を尽くした饗宴の中で「自ら王の暮らしを経験してみないか?」と誘われました。
ぜひやってみたいと答えると、王は黄金の席に座るように命令しました。
言われた通り、玉座に腰をかけます。
ふと見上げると、ダモクレスは細い糸で吊るされた剣があることに気づき、慌ててその場から逃げました。

 

余談ですが、「ダモクレスの剣」に登場する王は『走れメロス』の暴君ディオニスのモデルになっています。

カルタゴはそんなシュラクサイと200年にわたって戦ったのですが、シチリア半島の覇権をめぐる戦いは思わぬ形で幕を閉じます。

 

 

 

4.シチリアの問題児が起こした最大規模の戦争

紀元前264年から紀元前241年にかけてシチリア半島の、そして西地中海世界の覇権をかけてた戦争が勃発しました。その戦争のことを「第一次ポエニ戦争」と呼びます。

ポエニ戦争はカルタゴと、当時新興国だったローマとの覇権争いで三度にわたって行われました。その最初の舞台がシチリアです。

ポエニ戦争は歴史的な転換点でした。なぜならばローマ人はポエニ戦争を通じてカルタゴを破り、ギリシアやシリア、スペインやエジプトを支配下に組み込むのです。

元々カルタゴとローマの関係はとても良好でした。しかしシチリアのある問題児集団が原因でカルタゴとローマは争うことになり、当時の戦争の中では最大規模の被害となりました。

  

 

5.稲妻とあだ名されたハミルカル

最後に、当時活躍した将軍をご紹介します。

稲妻とあだ名されたハミルカルは第一次ポエニ戦争では無敗を誇り、のちに北アフリカ最大規模の反乱を鎮圧して絶大な影響を与えました。

ハミルカルはカルタゴの名将ハンニバルの父親で、第一次ポエニ戦争が終わったのち、紀元前237年以降スペインへ遠征に向かいました。

そこでハミルカルは現在のバルセロナまで行ったとされ、「バルカが支配した地」として「バルカ家の庭」を意味する「バルセロナ」と名付けました。

そんなハミルカルは、ある年代記作家が自分の部下とイチャイチャし過ぎて、政敵に告訴されたと記述しています。そしてハミルカルは「では、家族とイチャイチャするのは問題あるまい」と、その部下を娘婿として迎えたそうです。

後世の創作である可能性が高いですが、2200年も週刊⚫︎春的なスキャンダルが残るのはちょっと嫌ですね・・・。

 

 

 

6.まとめ

チュニジアは皆さんに馴染みがないかもしれません。しかしかつてチュニジアは地中海の大国で、ローマと覇権を巡って争いました。

そして第一次ポエニ戦争はローマが「ローマ帝国」へ至る契機となり、やがて現代にも影響を与える超大国になります。

次回は第二次ポエニ戦争についてご紹介したいと思います!

細川美優